今週のコラム
IFLHP管理人のTOMOが好き勝手に世の中を斬る。
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連載・復活記念
長い沈黙を破り、本日復活の時を迎えました!
皆さん、お元気にしていましたか?コラムニスタTOMOでございます。

長い間、休載してすみませんでした!
一部のコアなファン?の皆様から復活のご要望をいただきまして、
なんとか再び書いてみようと!

気持ちだけは前向きに頑張って行きたいと思います。

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連載復活、第1回は「TOMO家の近況報告」です。

今週のコラムと題しながらも、不定期・長期休載・子育てネタ・自虐ネタと
なんともコラムになっていない現状を!

まったく軌道修正する気も無く、
初回から地味に近況報告させていただきます。


以前から、ご覧頂いていた方はご存知だと思いますが、

TOMO家は
大黒柱のTOMO(ドS)
切れ味抜群のツッコミを見せる嫁(旦那にだけ超ドS)
眠らぬウチの姫(Sっケあふれる娘)  の3人家族


生後10ヶ月から保育園に通いだしたわが子も早や2歳(2歳4ヶ月)
3度の突発性湿疹に襲われたり、貧血気味と診断されてり、姫ちゃん食べすぎと先生に怒られたりしながら、大きくなりました!態度も含めて!
「パパ、せんで!そこ退いて!座らんで!こっちこらんで!メェ~よ!ダメ!もう、バイバイ!」

早くから保育園に入れていた、おかげで言葉の発達が同級生より早いらしく、
保育園の先生も「姫ちゃんおもしろいですよ!」「姫ちゃん、口が達者で手強いです。」「姫ちゃん、若干メタボですもんねぇ!」 と大絶賛されているそうです。

そんな姫の最近の口癖が
「明日、サッカー行こうかなって思って!」
「オー、マイガー!」
「オー、ベーカー!」(たぶん「欧米っか!」だと思われる)
「パパ、パパ、姫ぇ~、アレが欲しいのっ!欲しいの~!」(ベービーブックに載っているおもちゃを指して)
末恐ろしい・・・!

ネタがないのでTOMO家の1日のスケジュールを紹介します。
AM 5:30 嫁起床 弁当と朝飯を作る
AM 6:20 TOMO起床 寝てる姫の着替えをさせる「もぉ~!イヤって!イヤって!ねんたいって!」と泣き叫ぶ姫
AM 6:30 「ママがいいの!」キレはじめる姫
        嫁、姫を車に乗せて出勤(80k運転します) ・ TOMO二度寝
AM 7:15 保育園到着 嫁、仕事へ
AM 7:30 TOMO 起床 ・ 三度寝
AM 8:00 TOMO 起床 慌てる!
AM 9:30 TOMO 会社に到着(90k運転します)

PM 5:30 嫁・保育園到着
PM 7:00 嫁・姫 家到着
PM 8:00 嫁・姫 夕食
PM 9:15 TOMO 帰宅・夕食、姫つまみ食い
PM10:00 TOMO・姫 風呂
 姫「もう!イヤって!お風呂イヤ!」
 「パパと入ろうよ!」
 姫「イヤって!ママがいい!」
 嫁「じゃぁ、ママと入ろうか?」
 姫「もう!イヤ~!お風呂入らない!」 駄々っ子になる
 「もう、しゃあないな!アイス!」
 姫「アイス食べる!お風呂入る!」 現金な娘
PM10:30 TOMO・姫 風呂上りにテレビ見ながらゴロゴロ、嫁・風呂
PM11:00 しらん間に寝る姫、
PM11:30 嫁寝る
AM12:00~2:00 TOMO寝る

完全夜型になってしまった姫ですが、よく寝るようになりました。
面白くも忙しく過ぎた2年、やっとゆっくりできる時間が持てるようになってきました。
これからはゆっくる過ごせるのかなぁ?
        

さぁ?どうなのでしょうか?
嫁「無理に決まってるやろ!」

PS.寝るようになったとはいえ、たまには眠たい時に抱っこをせがむ時があります。
さぁ寝たかなっと思って、ソファーに座ると。姫「座らんで~!」って泣きそうな声。
いつまでたっても、座らせてはくれんのやなぁ~!

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「進化する現代」
ご無沙汰コラムニスタTOMOでございます。
ここしばらくまったく更新してませんでした。
出来ませんでした。

実は娘が病気でパソコンを開けることがなかなか出来無かったのです!

病名は「アンパンマン大好き病」
症状・パソコンの電源が入ると「アンパンマン見せろ!」っと泣き暴れる恐ろしい病気
原因・泣き止まない娘にアンパンマンのホームページを見せたところ、GIFで動き回るアンパンマン達に感激したため!

そんなこんなで本編へ
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日進月歩
世の中は日々進歩している

医療では、
再生医療というのが注目をされている。
自分自身の細胞を培養して、皮膚を作ったり、歯を作ったり、さらには自分の細胞の中で再生力の強い細胞を薬として飲み込むと、脳や体の神経が活性化し壊死していた細胞が蘇るらしい・・・

さらに人工骨など体内に入れても錆びない金属が作り出されたため、体内に入れっぱなしにしても害がない。
硬く・柔軟性もあるため、人工の関節なども造れるようになった。

骨折で固定のために体内にボルトを入れている人もいるだろう。
以前は必ずいつか抜かないといけないのだが、
いまでは、体内にあっても害がないため、そのまま放置できるので、再手術の負担がなく、
さらに、ボルトで固定しているわけですから、患部が強化もされる。

以前の手術では、悪いところを切って取り除くというのが当たり前
それがいつしか、臓器移植など臓器を入れ替える手術が始まり
それでも、拒否反応があるため、今度は自分の細胞で作る・・・
すると元は自分の一部、拒否反応が起こらない!


もっと身近なところに目を向けていると
今では誰もが携帯電話を所有している。
今では、加入電話よりも契約数が多いそうです。

さらにはインターネットで好きな時に好きな情報を得ることができる。


TOMOを取り巻く環境もこの20年で大きく変化した。
TOMOは現在31歳
パソコンが3台・携帯電話・加入電話・コピーの出来るプリンター・テレビが3台・ビデオ2台・DVDHDレコーダー・PS2・CDコンポ・デジカメ・ハンディーカム
エアコンが2台・扇風機が2台・加湿器・石油ファンヒーター・ハロゲンヒーター・電気ストーブ
冷蔵庫・全自動洗濯機・電子レンジ・トースター・HDDカーナビ

DVDやCDなどは自分で焼け
写真は自分で現像でき
見たい時に映画が見れ、聞きたいときに音楽が聴ける
情報もテレビ・パソコン・携帯など色々なところから得ることもできる。

果たして20年前にはこの中で何があったのか
20年前は11歳・小学生

冷蔵庫・2層式洗濯機・電気ストーブ・コタツ・扇風機・テレビ1台・加入電話(コードレスではない)
このくらいです。
ファミコンはあったかなぁ
プラスして電気カーペットとクーラーぐらい

今から思えば不便だった
ビデオも無かったので二人の姉とチャンネル権争い
寒ければコタツ・暑ければ扇風機
クーラーは親父がいるときだけ
電話は夜になると姉2人が奪い合う

テレビが2台あったり、ビデオがあったらケンカも少なかっただろう。
しかし、不便だけどそれが当たり前だった。

中学生になり、
テレビが2台になり(居間とキッチンに)
ビデオ・CDコンポ・自分用のコタツ

高校生なると、
待望のエアコンが入り
加入電話がコードレス化する(それによって、姉二人の電話独占に拍車がかかることになる)
さらにサラリーマンの必需品だったポケベルが広まる(高校時代ほんの少しの間だけ持ってました)

大学に入ると
MD・携帯電話が登場
携帯電話は高かったので安いPHSに人気があつまる(大学4年まではPHS派でした)
PHSにショートメール機能が付く
ウインドゥズ95の発売
インターネットの普及(この頃はパソをしていません)

社会人
パソコンが一般化しメール・ネットが一般化(この頃買いました)
携帯にモードやメール機能が付く(自分の携帯に入るのはだいぶ遅れました)
WEBの掲示板やコミュニティサイトが一般化
DVDの登場
CDが自分で焼けるようになり
DVDも自分で焼けるようになる
テレビの薄型化
HDDレコーダーの登場
テレビのハイビジョン化・地デジ化

ブルーレイなどの次世代DVD販売開始

いろんなことが出来るようになりました。
便利になりました。

次はどんなこと出来るようになるのか?

「十年一昔」
技術は10年で大きく様変わりします。
次の10年後が非常に楽しみになってきませんか?


その内、「どこでもドア」ができるんじゃないだろうか?
「健康ってありがたい ~少し昔の話~」(退院編)
怒り狂うコラムニスタ・TOMOや!
キレとんじゃ!ボケェ!
だから言ったやないか!





ロナウドじゃダメやって!

ミランCL出場権獲得できず・・・

スカパーやめたろか!

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(前回の続きから)

待望の暇つぶしグッズを手に入れたTOMO

しかし、TOMOは未だ病人・・・


治療面では
24時間点滴・絶食は10日あまり続きました。
その間、空腹感はあるが食べれない・飲めない

点滴で栄養が補給されているから多少元気・・・
やり切れません。

食べてないわけですから、オシッコは出ても、便は出ません。
しかし、便意というのはなくならないもので、
なぜかトイレに行きたくなるものです。
しかし、行ったところで何も出ません。(微妙に泡はでますが)
これはこれで、結構つらいものでした。


そしてついに、食事解禁日!

待ちに待った、口から栄養が取れる日!


しかし、最初に出てきたのは、「重湯」(=おかゆの上澄み汁)のみ

なんじゃーこらー!こんなんを食べたいわけじゃないぞ!
飯をくれー!肉をくれー!味噌汁をくれー!

目の前のおっちゃんがうまそうに(実際はあまりうまくはないが)食べてやがる!
くそぉー!

しばらく重湯暮らしが続いたが、日を追って徐々に品目が増え始める
ゼリーが付いたり、味噌汁の汁だけが付いたり、バナナが付く(固形キターーーー)
1品づつメニューが増え、徐々に食事のレベルが上がり、テンションを向上!
(赤ちゃんが離乳食を卒業する喜びはこれか!)


食事のレベルとともに体調の回復が進むものの、原因はわからず、引き続き検査、検査の毎日・・・

中でも一番つらかったのが「胆管造影」
何かというと胃カメラ見たいなもの

これがほんとにつらい!

まず、喉の麻酔をします。

看護婦さん「このゼリーをしばらく口に含んでいてください。飲み込まないようにしてくださいねぇ」

結構な料の透明なゼリーで口に含むってだけでも大変、
しかも、麻酔だけあって徐々にしびれてきます。(炭酸のきついのをしばらく口にためている感じ)
気を抜けば本当に飲み込みそうです。

それを吐き出し、
いよいよ、カメラを飲みます・・・

医者A「は~い。力抜いてくださ~い!ラク~に!ラ~クに!」
  「オエってしないようにしてください。」(エヅくとカメラの前に泡があふれて見えにくくなるらしい)
ってできるか~!こんな太いもの飲み込めるか!

医者B「はい、落ち着いて、ゆっくり、少しカメラ回して・・・」
医者A「ハイ・・・、こうですか?」

!!!!!ってオイ!お前!慣れてないやろう!
ボケェ!ベテランがやらんかい!


ハッキリと体に管が入ってく感覚と喉を刺激する気持ち悪さ
プラスして、医者Aの微妙な緊張感と食道を軽く擦られているよな感覚・・・


「胆管造影」とは胆のうとその他の器官をつなぐ管までカメラを入れて
胆管、胆のうに問題がないかを検査する。
ちなみに、胆のうは胃よりさらに奥にあるので、時間がかかります。(うげー、最悪)


検査も20~30分くらいで終了したようですが、
3時間くらいしてたんじゃないかと思わせるくらい長く感じた

医者A「さぁ、ゆっくり抜いていきますね」

医者A安心したのか、カメラを抜くのが雑。いろんなところにカメラがぶつかって痛いのなんのって!


さぁ、恐怖の胆管造影も終わり、今から食事タイム!
お茶をすする・・・、ゴクン!

「イタッ、イタタタタ~!胸がよじれる!痛い!」

どうやら、医者Aの胆管造影が下手すぎて、食道を傷つけまくったらしい!
クソ、ボケェー!
その後、2日間、食事のたびに痛む胸・・・(訴えてやる!)


次につらかったのがMRI。
これは、体の断面写真をとる機械。

造影剤という液体を飲み
横になって、狭くて長いトンネルのようなところに入れられる
その間に体を輪切りにした写真を撮るのだ。

この装置が実にうるさい!
耳栓はしているが、それでもうるさい。
磁気の音らしいがものすごい騒音。
しかも動いたらダメ!
動くと映像がズレ、見難くなるらしい。
確か、息を止めたりしないといけなかったと思うので寝れもしません(もちろんうるさく寝れはせんが!)

ものすごく狭いところで、うるさく、さらに動けない。
しかも20~30分!

ものすごくイライラします。
機械、蹴り回したろうか!
っと思うぐらい・・・

強烈なストレスのかかる検査でした。しかも2~3回しました。



その後も、検査の日々が続けども、一向に原因もわからない。


それでも続く入院・・・

体は不調を訴えることもなく、
調子は以前にもまして好調

それでも入院という拘束が続く

イライラ、イライライラ、イライライライライライライライラララララ!
入院20日目
・・・って言うか、いつ終わってねん!
体調も戻ったっちゅうねん!

破壊衝動がおきそうなほどのストレスが溜まり。


辛抱しきれず
「退院はいつぐらいにできますか?」
担当医「近々と考えていますが日程はまだ!」

医者に退院したいと直訴。
「1月22日がTOMOの誕生日やから、この日には退院したい!」
「もう、耐えられへん!勘弁して!」

しぶしぶ了承する医者・・・

担当医「必ず月1回は検診に来てくださいよ!」

「必ず行きますから退院させて・・・(泣)!」


入院から25日目
2000年1月22日
ようやく退院・・・(無理やり)
結局、原因不明・・・


退院後、初めて病院食以外のものを食べる。
駅前のそば屋・・・

「こんなん、食べたかったんよ!」
「いただきま~す!」
ズルズル・・・
「うぁ、カラ!塩っから!」
さらに、「そば1杯すら食べきらん・・・」

どうやら、病院食の塩分に慣れすぎて、外食のすべてが濃い味に感じ、
さらに、10日間絶食だったため、胃袋が相当小さくなってしまったようです。


退院後もしばらくお休みをいただき
復帰に備えて、散歩やストレッチで体力をつける


迎えた2月1日
1ヶ月ぶりに職場復帰

はじめは気を使って、きつくならない程度の内容だろう・・・

っと思いきや・・・復帰10日後から出張の予定が入っていた
しかも新店オープンに備えた搬入とそのまま数日の営業応援・・・しかも、泊り込みで・・・

世の中そんなに甘くない・・・

さらに3ヶ月後には隣の店に転勤を言い渡され

さらに半年後には違う土地に転勤・・・

仕事は待ってくれません。




この地獄の1ヶ月、
結局、原因不明のまますべてが終わる
なんだったのか、未だによく解らないまま
まぁ、学生時代からの不摂生がだろうかと思うが・・・

ただ、事実として一度悲鳴を上げた体はもう二度と元には戻らない
食べれる量は減り、酒も弱くなり、濃いものが苦手となり、油ものにはめっぽう弱くなる

さらに、今度同様の発作が起きれば、胆のうを切除し、
状況が悪ければ日常的に人工透析を受けなければいけなくなるかもしれない。

こんな爆弾を抱えたTOMOだったが、このことで色々なことに気づかされた。

不摂生のつけは、必ず後からやってくる
自己診断せず、病院の診察を受ける
医師も色々いる
診断・診察に納得がいかなかったらセカンドオピニオンを受ける
健康は当たり前ではないこと、掛け替えのないものであること
生きているありがたみ
生かされているという実感


TOMOはその後日々の生活を改善し
朝・昼・晩、3食しっかりとり
野菜もたくさんとり(野菜ジュースを飲む)
苦手な乳製品もとり
油物は極力少なくする(苦手になったし)
とにかくバランスの取れた食事を目指す
飲酒量も控える
・・・・など

以前より、健康に気を使う人間へと変貌を遂げた。
(規則正しい生活は送りきれていないが・・・)



さらい言うと入院中、特に後半は色々考える時間があった

今後に人生のこと
仕事のこと
友達のこと
人間関係のこと
恋人のこと
結婚のこと
両親のこと

あらゆることに悩んでた時期でもあったから、この1ヶ月じっくり考えることができた。

自分を見直せる時間がこんなにタップリとれることはそうあるわけでもなし!

あの1ヶ月があったからこそ今の生活があるのかもしれない
もう一度言う
健康は当たり前のことではない!感謝すべきことである。
不摂生は必ずどこかにシワ寄せが来る
これからも肝に銘じて生きていこう!

ちなみに我が家では毎年12月29日を健康に感謝する日にしています。


PS.余談が2つ
1ヶ月に一度の検診は真面目に続けました

しかし3か月くらい経った後に、
突然、担当医より
担当医「すみません。来月、転勤することになったんですよ!」
   「次の担当にすべて申し送りをしておきます。すみませんねぇ~」

どうやら栄転らしく、すみませんと言いながら頬が緩んでいる。
「まぁ、良いか」気にも留めず、来月の検診日を予約

次の検診日、新しい担当医の始めての検診
新担当医「TOMOさん、えぇ~っと、何でしったっけ?カルテは・・・ハイハイ。」
    「調子はどうですか」「大丈夫?」「あぁ~大丈夫ですね、じゃあ良いですよ」
ほとんど、こっちの顔を見ることなく終了。

なんじゃアレ?折角の休みに来てるのに、散々待たされてそれだけ・・・
もう、見てもらう意味を感じず。来院をやめる。

引継ぎってちゃんとされとるんやろか?
さらに医者に不振を覚える出来事だった。
(昨今叫ばれる医者不足からか?それともただ怠慢なだけなのか?)



さらにもう1つ
退院後、しばらくして母より荷物が届く
薄い水色をしたカッターシャツが入っていた。
仕事を復帰のお祝いだろうか?

手紙が一通
「入院中着ていた、病院服(パジャマ?)の色があんまり似合っていたので、同じ色のカッターシャツ送ります。」

なんじゃ、そら・・・

「健康ってありがたい ~少し昔の話~」(入院編)
ダイエット・コラムニスタ・TOMOです。ご無沙汰しています。

2月3月の多忙と体調不良で4kgほど減量に成功しました。
やったー!

でも、筋肉も一緒に失いましたが・・・

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(前回の続きから)

死の影に怯え迎えたミレニアム

腕には相変わらず24時間点滴


腹痛はある程度ピークを超え、だいぶ楽になってきた。
但し、熱は依然として高く、体もだるい。

とにかく、安静に寝て過ごすしかない。


夕方
看護婦さん「点滴変えますね。あれどうしたんですか、腕はれてますよ」
     「一回点滴抜きましょうか?腕をこっちに向けてください。」

「すいません、腕が動かないです。」

看護婦さん「えっ、どうして?」

「たぶん、丸1日、左腕を動かさなかったからだと思います。」

看護婦さん「ど、どうして動かさなかったの?」

「動くと針がずれると思ってこのままにしていました。」

看護婦さん「ハハハハァ!大丈夫ですよ。針もゴムで出来ていますから、平気ですよ!」

って早よ言え!ボケェー!
前の内科病院では、点滴の際「動くと針がずれますから注意してください!」って言われてたからや!

丸1日全く動かさなかった左腕は筋肉が痙攣し、ガチガチに硬くなり
力を入れても中々自由に動かない
しかも冷たくなってる。

看護婦さん「も~う、言ってください。腕がつらいって!じゃぁ今度は右腕にしときますね」
     「もちろん、動かしてもかまいませんよ!(笑)」

ってボケナス!(笑)ってなんやねん!
今度は、硬直して動きの悪い左腕と点滴の挿入された右腕。
結局、自由が奪われた・・・

数十分後、
なんか今度は右腕痛いな・・・

「右腕、腫れてるがな!」
慌ててナースコール(人生初のナースコール)
「すみません~」

看護婦さん②「どうしました~」

「今度は、右腕腫れたんですが・・・」

看護婦さん②「あっ、すいません。針ずれてますねぇ。ちょっと腫れちゃいましたねぇ」
      「今度は左に入れますね」

って、やっぱり左かい!


熱で苦しむTOMOに追い討ちをかける看護婦たち・・・


1月2日 母と姉がやってくる。

1月3日 絶食の成果か、腹痛も和らぎ、この日あたりから本格的に精密検査スタート

医者「どうやら、胆のうに砂が溜まって、あふれた砂が胆管を通って、膵臓の入口に溜まり、膵液を分泌する管をせき止めた。逃げ場を失った膵液が膵臓に溜まって炎症を起こしたようです。」
医者「今はもう、せき止めていた砂は流れてないようですが、膵臓内に少し砂がまだ残っているようです。」

母「そういうことはよくあるんですか。」

医者「よくということはありませんが・・・まぁ、あることです。なぜこうなったかはまだわかりませんが」

母「原因不明ってことですか?」

医者「そうですね。但し、原因不明っていうのも、原因がわからないほど取るに足りないこともありますし、わからないほど重大であるケースもあります。とにかく検査を続けますね」


1月7日頃には、熱も落ち着き、回復の兆し。
そうなると、暇で暇でたまらない。

友人が雑誌や漫画を持ってきてくれるものの、1日もたない。
テレビも飽きるし、金も取られる(テレビカードっていうのを入れないと見れない)

しかも消灯時間は21時。
若者が21時に寝れるわけも無く、イヤホンで音が漏れないようにひっそりとテレビをみるだけ。
そんなときに限って、おもしろいテレビがない。(正月番組の時期は特に最悪でした)

う~う~、うなってるじいちゃんの横のベッドで「映画・リング2」を見てたりもしましが。
スリル満点です。

暇を持て余したTOMO。

そこで「はまった」のが読書。
今までは、活字をみると眠たくなっていたのが
寝続けているため眠たくならない

朝、売店で文庫本を1冊買い、夜までに読みきる生活がはじまる。
退院までに15冊は読んだと思います。

特に読みはまったのが、宗田理(こんな漢字だったと思う)。
TOMOが中学生時代にめっちゃ人気のあった小説家で
有名なのが「僕らの七日間戦争」
当時、少しかじったが、活字がやはりダメで、読むのを断念していた本だ。

特にこの「僕らの七日間戦争」から続く「僕ら」シリーズは昔を思い出し読みはまりました。

それ以来、読書はTOMOの趣味のひとつとなり、
今ではTOMOライフサイクルに組み込まれ、なくてはならないものとなった。

何事もすべてはキッカケってことですね。

(退院編へつづく)

「健康ってありがたい ~少し昔の話~」(発病編)
結婚式貧乏・コラムニスタTOMOでございます

広く浅くをモットーとした友人関係を築いていた若かりし頃のTOMO

漠然と、「オレって結婚式呼ばれることってあるんかなぁ?」思っていた。
さらに「オレって結婚式で呼べる友達おるんかなぁ?」とも思っていた。

しかし、実際、適齢期になると呼ばれるは呼ばれるは!
26歳から年4~5回ペース。
呼んでいただけるという喜び
大枚が羽を生やして去っていくせつなさ

それでも、呼ばれるということは自分の時に呼べるということ!

おかげ、3テーブルも友人で固めることができ、楽しい式ができた。ありがとう!

しかし結婚後に気づいたこと、
嫁も結婚式によく呼ばれる人だった。

31歳になった今でも、2人合計で年4~6回ペース・・・
いつまで続くのか、嬉しいことだが、苦しくもある。

それでも、呼ばれたら喜んで行きたいッス!
しっかりお金貯めま~す!

これから結婚する人!早めに言ってや~!

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(前回の続きから)

年月は流れ


1999年 ノストラダムが話題をさらった運命の年

そんなTOMOも大学を卒業し、無事就職。

すると、学生時のように時間は無いが、金は残るようになる。
時間が無いからお金もあまり使わなくなる。

すると途端に食生活がおかしくなる。
相変わらず主食は「ホカ弁」
しかし、以前は普通サイズの弁当がメインで、たまに「ご飯大盛り」くらいだったのが、
「から揚げ弁当」に当然の「ご飯大盛り」、さらに「味噌汁」、「サラダ」、それに加え「とんかつのみ」をオーダー
もちろんビールも常備。

昼メシも他のスタッフが400円で腹がふくれる弁当(お惣菜)を、800円くらい食べる。


食が細く、食べれずに苦しんだ幼少期
貧乏学生(飲み会が多すぎ)で食べれずに苦しんだ学生時代、

胃腸的にも、金銭的にも食べれるようになったTOMOは
短い春を謳歌するように、暴飲・暴食ロードをまっしぐら!

しかしその時は確実に近づいていた・・・


1999年12月28日
「ミレニアムの夜明け」・「Y2K問題」・「検証ノストラダムス」に沸く年の瀬

その日は仕事納め

29日より実家へ帰省する予定にしていたTOMOは仕事終わりに
友達と待ち合わせ、2人でこじんまりと忘年会を行う。


しかし、この日ばかりはなぜか、食も酒もすすまない。
頼んだ定食の4割を残し、ビールも1杯飲みきらない・・・

友人「どないしたん?」
「わからんけど、あんま食欲ないみたい・・・」
「年末忙しかったから、疲れがでとるんかも?」
友人「ほな、はやめにきりあげようか?」

この時点では取るに足りない出来事。
「まぁゆっくり寝れば、大丈夫やろ~」っと高を括って早めの就寝・・・
明日の昼には機上の人・・・


1999年 12月29日 朝

目覚めとともに軽い腹痛を感じる。

「腹痛!昨日あまり食べんかったから腹へって胃酸ができすとるんかな?」
「ひとまず、2度寝しよう~」
この頃は朝を食べないのでもう一眠り・・・

昼前、腹痛で目が覚める。
「アカン、さっきより痛なっとう・・・」

実家で連絡し、「ちょっと、調子が悪いから帰省は明日にする。」
今日は1日、家で安静にしよう。

空腹感を感じるも、今日から帰省予定だったため家には食べ物がない。
冷蔵庫からスープ缶(ホテルオークラとかのおいしいスープの缶)を見つけ、温めて飲む。

2口3口飲んだだけで、気持ち悪くなり吐く・・・

いよいよやばくなってきた。

それでも、まだ様子をみようとするTOMO。

昼の12時より始まった「あいのり」スペシャル(再放送)を見始め、
気を紛らわす・・・

15時に「あいのり」終了。
水を飲む・・・うげーーー。
また、吐く。

こらアカン・・・
病院行こう・・・(って言うか早よ行け!)

車で近くの町医者へ

少し体を動かしたせいか、腹痛は断続的に激痛に変化。

病院になんとか到着
あまりの痛みで座っていられず、病院の椅子に倒れこむ。

あまりの症状に、順番を早めてもらい診察
ひとまず痛み止めをうってもらい、ベットに横になる。

30分たっても痛みは引くどころか、増す一方。
医師も手に負えないのか
医師「ここでは、治療が難しいので大きい病院へ行ってください」
医師「自分でいけますか?」
「無理です・・・」(って言うか痛くてノタウチ回っているのに自力で行けるかぁ!)

救急車で大きい病院へ搬送
救急車のなかで、救急士の方が痛みを少しでも緩和しようとして、腰をマッサージしてくれる。

「めっちゃ!気持ちいい、痛み引いてきた」(心でつぶやく)

しかし、冷静になると、このままマッサージだけで痛みが取れたら、
何のために救急車で運ばれとるんやろ?
うぁ、さぶ!オレが大げさ過ぎたんか?

病院へ到着
嬉しいのか悲しいのか、激痛復活!
「ふぅ~よかった」ってアカンやん。

問診・検査等でどうやら「食あたり」らしいとのこと。
医師「熱が出てますので間違いないと思います。今日一晩安静にして、明日から食事を取ってみましょう」

初・入院・・・
しかも6人部屋
夜はじいさん達が「うぇ、うぇ、はぁ、はぁ」言ってます。

ちなみTOMOそれどころではなく、腹痛は引いたものの
高熱で体がだるい。

12月30日 朝
腹痛は引いたまま。
よし、朝飯を食う。
一口食べただけで吐く・・・

そこからまた腹痛、さらに、熱も上がる。

少し落ち着いた頃、一応実家に電話をかける
「今日帰る言ってたけど、食あたりで入院したんで今回は帰らん。・・・ん・・・。あぁ~大丈夫。明日には退院してるんじゃない」


その晩、高熱のせいか、記憶が曖昧でおぼえていません。
ただ、うなって寝てたような・・・。
気が付いたら朝だったって感じです。


12月31日 大晦日
同様に朝飯が出るが、食べると吐き、熱はさらにあがる。
医者「どうやら、食あたりではなかったようです。」(っていうか誤診???)
医者「外科的治療が必要な可能性がありますので総合病院へ移っていただきます」
この時点ではじめてここが内科専門病院であることに気が付きました
しかも外科的治療? → 手術???
サイアク・・・!


昼過ぎ、転院

1999年最後の日に救急車で搬送されるTOMO

痛みを堪え、あらゆる検査を受ける。(MRI、エコーなど)

病名「急性膵炎(すいえん)」であろう・・・(ってまた予測・・・ほんまかいな!)
医者「原因はまだわかっていませんので、今後さらに治療しながら調べていきましょう」


その日から、完全絶食。食事どころか水分もだめ。
とにかく口から摂取することを禁じられたのだ。

栄養補給は点滴から、しかも24時間点滴。


その晩、実家と会社に詳細を連絡。
上司「はぁ~?、お前実家に帰っとったんやなかったんか?大丈夫なんか?」
「大丈夫ではないようです。すみません」
上司「退院は?」
「いつになるか検討がつきません・・・」


その夜、
世界中でミレニアムを祝う花火が打ちあがり
Y2Kと呼ばれた2000年問題で会社に張り付くサラリーマンがいて
いつもと変わらない年越しを迎える人がいる


その中、TOMOはベットの上で、原因不明の病気で高熱を発し、発作のように腹痛に襲われ、
「死ぬかもしれん・・・」と漠然とした不安感の中


2000年を迎えた。

(入院編に続く)



プロフィール

tomoiju

Author:tomoiju
名前:TOMO
役職:IFLHP管理人
ニックネーム:エセ関西人
所属:IFL ブラオヴィーゼ諫早
ポジション:後ろの方・ベンチの方
得意プレー:切れ味鋭い「つっこみ」と、中途半端なボケに対する「スルー」
苦手プレー:褒められる・つっこまれる



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